わたしの答えの見つけ方
今日は、この話。
わたしの答えの見つけ方。
これがわかっていれば
どんなときも、何が起きても
大丈夫ってなるのかもしれません。
大丈夫というかどんなときも
自分の答えを探している
って思えば、先に進めのかも?
そして、その答えはどこにあるのか・・・
記憶をさかのぼる
いまどんな状況にあるか?
で考えることは変わるのですが。
いまのわたしが
- 目標に向かっている
- 何かを探している
- 何かもやもやしている
- 見えない不安がある
みたいな?
多くの場合は
何かを叶えたい
ってときに”答えを探す”のかもしれません。
何かが叶うときってのはいろんな条件が重なって叶うように思います。
そして、そこには、目に見える条件と見えないものがあるように思います。
だから、
頑張ればなんとかなる
ってことではないのかなと思います。
頑張って何とかなることもあるし
頑張っても何ともならないこともあります。
ただ、世の中は
頑張ればなんとかなることが多いのも確か。
その中で、僕が興味あるのは
頑張ってもなんともならないこと。
まぁただ、これは若干の
抽象的な表現を含むというか。
言葉にとらわれるよりもなんとなく雰囲気で感じてほしいかなと思います。
そして、自分の答えってのはいつも近くにあるってこと。
だから、過去をさかのぼり、振り返ると見えてくることもあるかも?
わたしは、何かを叶えたいときに。
- どんなことを想う?
- どんなことをする?
- どんな人といた?
- 身近な人との関係性は?
- うまくいったときいかなかったとき
そんなことを振り返ってみると
自分の答えの見つけ方の癖のようなものがわかるかも?
拡大と縮小
生きている中で何が起きているか?
って考えると、基本的には
拡大と縮小
なのかもしれません。
大きくなっているか、縮小しているか。
そのどっちか。
この真ん中っぽく見える時もあるかもしれませんが。
基本的には、どっちか。
- 進んでいるか戻っているか
- 大きくなっているか小さくなっているか
- 増えているか減っているか
そんな感じ。
この世界では、時間は基本的に進んでいるので
止まるってことはないように思います。
立ち止まる
ってのは、そんな一瞬を切り取る力があるのかも?
だから、ときには、立ち止まってこの世界をみてみると
見えてなかったことに、気づけるかもしれません。
迷うときは
人生には転機があるし、迷うときもあるし。
うまくいくときも、うまくいかないときも
いいときも、わるいトキもあると思います。
それは、生きていれば実感しているかも。
だから、迷ったときほど
いったん立ち止まってみる。
立ち止まったからわかるわけではないですが。
立ち止まることで、わかることってのは意外とあります。
一呼吸、深呼吸。
それだけでも大丈夫。
その間が、答えを運んでくる。
答えはない
これは、ちょっと難しいかもしれませんが。
それは、玉ねぎの中身を見つけるような話。
皮をむいてもむいても中身はないように。
自分の答えを探すのですが。それは、
探しても探しても、見つからないもの。
ってことがわかるといいのかもしれません。
ただ、これはみつからないというか、ゴールがないモノ。
もちろん、自分にとって答えのようなものがみつかることもあります。
ただ、その先には、またあらたな答え探しがはじまります。
それは、
僕たちは、愛というものはわからないし
それを、うまく伝えることはできないけど。
愛のようなものを、知っている。
ということに近いかもしれません。
愛ってなんなのか?って言われると
答えるのは難しいかもしれません。
それに、もしかしたら、その答えってのは
人によっても、状況によっても違うようにも思います。
それが、自分にとっての答えのようなものなのかもしれません。
それは、私にとっての愛とは何か?ってのが
わたしにとっての答えをみつけることと似ているのかも?
答えは変わっていく
僕たちは常に変化しているように
僕たちの答えも常に変化しているってこと。
だから、見つけたようで
またわからなくなって
わからなくなったとおもったら
またわかるようになるようなこと。
特に、2022年は
時の流れの中で答えのようなものも
変わりやすい時間になるかもしれません。
だから、”答えのようなもの”にあまりとらわれず、
それに、執着もしすぎることなく、流れていくといいかも?
その先で、きっと答えの先にあるものに出逢えるから。
だから、流れていこう。この流れに。って思う流れに乗ろう。
おわりに
自分の答えを探している。
そして、その答えは見つからない。
この思考が大事なのかもしれません。
生きるということは、
算数や数学だけではないです。
というよりも、算数や数学ではわからない部分。
ってのもあるから、奥が深い。ってことかなと。
もし仮に、それも数値化できるとすれば
生きるということは、数学的に考えられるのかもしれません。
というか、そういう研究をしている人もいると思います。
感情や意識を、科学的に解明するようなこと。
ただ、ランダムといわれるように。
この世界では、不規則に動くこと、またそうみえること。
そんなこともたくさんあります。
だから、僕たちの視点が考えると
わかることとわからないことがある世界で。
みえることを、信じることや信じないこと。
そして、この世界で
わたしが探している答えのようなものを探していくこと。
ってのが、生きることなのかもしれません。
- 何かが気になること
- 何かに興味を持つこと
- 腐れ縁のような関係性
- なぜか応援したくなる人
- なぜかムカつくような人
そう、生きていると
縁があること、縁がないことってのがあります。
その縁があるないってのは、自分で繋いでいくこと。
どちらかというと、
僕たちは、その縁を繋いでいけると
”僕たち”が望んでいる答えが見つけられるのかもしれません。
とはいえ、やっぱりね。
僕たちは答えをずっと探してるんです。
だからまぁ、そういう
答えを求めてしまうわたしも
それで、うまくいかなくなってしまうわたしも
その先で、出逢える人やわたしがいるから。
その答えを探していきましょう。
誰かの答えじゃなくて、私の答えを。
その答えの見つけ方は、
- ふとした瞬間
- 気になること
- 何度も目にすること
- 縁があること
そんなことを大切にすることかもしれません。