勤労感謝の日と新嘗祭と祈り
あなたが笑うと僕も笑う。
さむい、もう寒いですね。
体調に気を付けてご自愛ください。
さて、今日は、勤労感謝の日。
ちょっと、今日という日の紹介とお話をしたいと思います。
新嘗祭とは
新嘗祭は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。
新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀などを
天神地祇に供えて感謝の奉告をし、
これらを神からの賜りものとして自らも食する儀式である。毎年11月23日に宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。同じ日に全国の神社でも行われる
勤労感謝の日として、知っている人は多いと思います。
ただ、この新嘗祭というのは、知らない人も多いかも?
新嘗祭だけでなく、宮中祭祀のことをあまり知らない人は多いかも?
まぁ、知ってても知らなくてもいいと思いますが
この日本に生まれたから、そういうことは少し知っておくといいかもしれません。
それは、僕たちの源流をしることになるから。
そして、この地で生きていくことの助けにもなるから。
新嘗祭(にいなめさい)何してるの?
みつろう氏から引用させてもらいます。
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勤労感謝の日は、「働いている自分へ感謝する日」ではない。
天皇陛下と共に、日本国の豊穣へ感謝の祈りを捧げる日です。
今日23日の夕刻(午後6時)と暁刻(午後11時)に、新嘗祭が宮中で執り行われます。
これは、国民にとって一番大切な行事です。
そして今日は、
平成天皇最後の祈りです。
陛下は、
暖房も無い過酷な寒さの中、ただひたすら国民のために2時間祈る。
儀式中は、誰も中へ入る事が許されず、
カミゴトを手助けする2人の巫女(采女ウネメ)のみ。
86歳の陛下、命を懸けた最後のお祈りです。
どうか、今日の午後6時~8時の「夕の儀」と、
夜11時~深夜1時の「暁の儀」に、
本来の日本人のチカラをお貸しください。
思想も、左翼も右翼も、争いも超えて。
1人でも多くの日本人にシェアして知って欲しい事実です。
今日、何が行われるのか。
そして、どうしてそれが日本国民に知れ渡っていないのか?
統治下に置かれる戦前までは、
全ての国民にとって、一番大切な行事でした。
「夕の儀」までに時間が無くて申し訳ないのですが、
平成最後の「新嘗祭」の時刻に、多くの国民が、
平成天皇最後の祈りを、後ろ支え出来るように、
シェア・拡散お願いいたします。
詳しい内容は↓をお読みください
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12420832551.html
1人でも多くの日本国民が参加する
「祈り」となりますように。
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きっと、
何が正しいとかじゃなく、
そういうことなんです。
ちょっとね。難しかったらね。
今日はいつもより
少しだけ多くありがとうと
思うだけでもいいかもしれません。
誰かに、この星に。
祈り
祈りとはなんだろうか。
僕も、本当に最近、ここ数年の話です。
祈るようになったのも、真摯にそういうことをやるのも。
まぁ細かい話はまたいつか書きますが。
祈るとは、行為であり。
空想でも、幻想でもない、と思います。
じゃあ、何を?どうやって?
って話は、ありますがそういうことではないんです。
いや、それも大事なんですが。
それは、やってみないとわからないというか。
頭で理解することではなく
説明したらわかるということでもなく。
だけど、わかるということ。
祈ってもいいし、祈らなくてもいいんだけど。
祈るという行為の風習や習慣が
日本人の強さの根幹である(あった)、ように思います。
それが、薄れるから弱くなるというかなっているというか。
わかんなくてもやるんです。
やってるからわかるんです笑
いつか。
いつまでたってもわからないかもしれませんが。笑
それでも、それをみんながやっているということに意味があったりするんです。
不思議な話。
なんだろうか?疑問をもつこと。
そうそう、なんだろうか?
と、疑問をもつことも大切。
問いを持つから答えが”導かれる”わけなので。
わかんなくてもやる。
でも、わかんないままでもダメ、かも。
なんというか。
わかんなくても
なんでなんだろう?
と、疑問を持ちながらもやるというか。
わかんないからやらないってのは違うくて
わかるまでやらないってのも違うくて
スポーツやってる人はわかると思うんですが。
練習っていうのは意味がわかるものも意味わかんないけどやることもあります。
でも、やってるうちにわかるようになるんです。
じゃあ、最初から説明しなさいよっていっても
最初に説明されても、きっとわかんないんです。
やったからわかることもあるというか。
続けるからわかることがある。
ある瞬間のひらめきのように。
なんでもいんです
僕みたいにこうやってメルマガ書くでも
FacebookとかSNSで発信するでも
それこそ、毎日家の前を掃き掃除するでも
毎日、意味があるようなないようなこと
単調として、いることを続けること。毎日のようにやること。
で、いつか何かを見つけるんだと思います。
そうそう、掃除ってそうなのよ。
毎日、掃除してみるといい。
トイレ掃除でも、家の前の掃き掃除でも
窓を毎日ふくでも
結構ね、そういう時間が
ふとした、瞬間をもたらすというか。
だから、お寺の修業は掃除からはいるというのもひとつあるらしいです。
そこには、ただの掃除ではなくてじつはいろんな意味が含まれてる。
みたいな。何かは知らないし、聞いたら意味がなくなっちゃうこと。
すぐ、答えきく人がいますが、答えを聞いた時点で
もう、意味なくなることもあるので、お気をつけて。
大事なことは、そのさきにあるんです、きっと。
今日もありがとうございます。
ゆういち
個人的に思う祈り
個人的には祈るってのは自分の為ではないのかなと。
誰かのため、この星のため、みたいな。
祈るは意宣るって書くこともありますが。
意=意識
宣=宣言
自分の意識を、宣言する。
意識を宇宙の流れにのせる。
それが、どういう行為なのかまだよくわかりませんが。
まぁ、わかりやすいのは感謝かもしれません。
感謝する。ありがとうと思う。それが祈る行為。
感謝するってのは、ひとりじゃできないこと。
わたしがいて誰かがいて、そこに何かがあって
大いなる大自然の恵みの中で、巡りの中で
存在すること、生きていること。
いかされていること。